最高の勉強法は人に教えてみること

与えよ

教える仕事をしてから気づいたことがある。
それは生徒より教師のほうが授業内容を鮮明に覚えていることだ。生徒の勉強の得手不得手にかかわらずだ。
実は勉強というのは、板書をノートにしっかり書き写してても内容があまり頭に残らない。ノートをとる作業に意識がいくあまり、内容を吸収するところまでいかないのだ。非常にきれいなノートを取る人がいるが、ノートをきっちり取るくらいならプリントの余白にメモのように書いておき、その日に覚えた内容を誰かに説明してみるほうがモノになるのだ。部屋で自分ひとりで呟くのでもいい。100%理解していないと説明できないものだ。

人に説明してばかりだとお人好しに見られるかもしれない。だが、実は違う。自分の勉強になっているのだ。与えよ、さらば与えられんである。説明してみないと記憶から消えてしまう場合もある。与えよ、さらば奪われるだ。だから私はよく生徒に説明させてみる。それが生徒にとって一番の勉強法であることを知っているからだ。

英語学習の上級者だと自負している方々は多いと思うが、現在完了を人にどう説明するだろうか。
I have lived in Tokyo.という文章において。

生徒「助動詞の後ろは動詞の原形が来ると習いました。なぜhaveは助動詞で後ろに過去分詞がくるんですか」

読者の皆さんならどう答えるだろうか。

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