語学の覚悟 関口存男の言葉

「不世出の語学の天才」と呼ばれた関口存男(せきぐちつぎお)の言葉は迫力がある。氏の本を読んでいくと、勉強の壁にぶつかった時に我々を鼓舞してくれる。が、それと同時に語学を身につける上で我々と同じような悩みを持っていたこともわかる。
それは周囲から「なんでダサい勉強なんか続けてるの?」という古今東西不変の同調圧力であったことが窺える。氏がどのようにしてその圧力をはねのけたか、その思想と言葉に触れてみたい。

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今回は「関口存男の生涯と業績」から引用する。(本では旧字体で書かれている)

この本は竹下和男氏のブログで知った。竹下氏が書いたブログや本はクオリティが高く、たくさん勉強させて頂いて感謝している。

(ところでこの本は全般的に刺激的な言葉を使っており、時代が許さないであろうから、ソフトな言い回しに変えて引用する) まずは「総力戦」でかかれという箇所。

勉強と戦争は甚だ似たものがあります。昔は国家総力戦なんてものはなかった。今は勝つためにあらゆるものを動員します。科学も底の底まで動員するし、経済も底の底まではたく、思想もスパイも、いやしくも利用価値のあるものは全部動員します。思想とスパイだけは遠慮して動員しなかったなんて国があったら、その国は思想とスパイを動員した国にはてきめんに負けるというのだから、恐ろしい世の中です。ところが、勉学の世界となると、この恐ろしい現実の可能性に対してハッキリした認識をもって臨み、最後の最もエゲツない手段に訴えても人に勝つという心構えでもって自分の心境をスッキリと割り切ってしまうだけの冴えた頭を持っている人が案外少なくない。

「勝つためにはなんでも利用する」はやはり大事なのだろう。最近有料のコワーキングスペースに通い出したが、このような言葉は励みになる。勉強場所を変えて気分転換も兼ねて作業をすると驚くほど捗る。実際、無料で使えるいい場所は都心では少ない。金で解決できる箇所は進んで解決する。普通の人が聞けば「えーっ、もったいない!家でやればいいじゃん」は参考にしなくていいといったとこだろうか。

次に、筋肉労働と精神労働について。そしてその精神労働でいかに勝つかという話だ。

世間は筋肉労働というやつに対してはとても世知辛くて、5に対しては5、6に対しては6を報いるきりです。うっかりすると6に対して5で報いようとすらします。ところが精神労働に対しては規準も何もない。凡庸だと見るとハナにもひっかけないが、凡庸を少し抜いていると見るともうすっかり天才扱いにする。例えば65点か66点ぐらいのところまでは0点と同じ扱いをするが、70点となると、もう80点、90点、100点とほとんど同じに見るのです。つまり入学試験と同じことです。だから、例えば技術者か学者になったとすると、69点の頭の男は落第で一家心中、それより1点上の70点の男が斯界の権威として威張れる・・・ということが生じるわけです。すると、その1点か2点をどうして稼ぐか、ということが差し迫った大問題になってきます。幸いなことに、あなたの競争者の大部分は、みんな「普通で」いこうと思っている人ばかりで、特別でいこうなんて思っている人は極く少数です。社会は甘い、と言ったのはつまりこういうところなんです。特別にいくということは要するにクソ勉強を選ぶことです。傍の人は、はじめは苦笑いしているが、そのうちには、やがて笑えなくなる時がやってきます。笑えなくなった時にちょっとその顔をこちらから拝見すると、失礼な言い方だが、実に面白い。この面白さだけのためにでもちょっと十年間茶目いたずらにやってみるだけの値打ちは確かにあります。人間として生まれてきた以上、これだけは是非一度自分も満喫し他人にも満喫させてやりたいものですな・・・・

受験指導していると、1点、2点で天国と地獄に分かれるから、使えるものはなんでも使いなさい、貪欲にいくんだよと伝えているが、失敗する人はやはりこの辺りの認識が甘いと感じる。浪人が許されない生徒で早慶を目指している高校3年生が春に難しい塾のクラス分けテスト、球技大会、そして部活の試合でも勝ちたいと言う。そのような場合は次のように伝えている。

「ライバルは学校で隣に座っているC判定、B判定の友人じゃない。あと数点足りなくて早慶に落ちて浪人して予備校の自習室で毎日10時間勉強してる人達だ。そういう人達は球技大会も文化祭も参加してない。全て勉強に突っ込んでる」

次は記憶力について。

どんな人の名前を忘れるか、どんな人の名前がハッキリと記憶に残るかを反省してごらんなさい。関心のない人の名前はすぐ忘れてしまうが、何か嬉しいことのあった人とか、或いは反対に、何か不愉快なことのあった人の名と顔はハッキリと記憶に残ります。意識的にわざわざ覚えようなどと思って努力した名前は、努力は殊勝であったとしてもその割に覚えていないものです。極言すれば、頭に良し悪しはない、関心に強弱あるのみ、と言ってよろしい。天才とは旺盛なる関心のことです。

関心を持つには、「ある方面に対して一括して責任を持つこと」が重要らしい。なんでも自分のこととなると人は放っておけなくなるのだとか。二十歳ぐらいの人が人生の全てのことに対して鼻が利き目が利く、関心が働くなどということはないだろうが、語学は容赦なくそれを要求してくる。そこで様々なことを学ぶ必要が出てくる。頭の良し悪しではなく関心を刺激することが重要であると。その方法は関口の本に載ってるが、放送禁止用語を使ってホラー映画さながらの説明なのでここでは割愛する。

最後に「語学をやる覚悟」から引用してみる。

本当に語学を物のしようと思ったらある種の悲壮な決心を固めなくちゃ到底駄目ですね。まず友達と絶交する、その次には書斎の扉に鍵をかける、書斎のない人は心の扉に鍵をかける。その方が徹底します。
今日の社会は決して価値ある個人を欲してはいません。
だから、社会の欲する無価値な人間になるか、社会の欲せざる価値ある人間になるか、問題はここです。世間はどんな人間を好むか?「付き合いがよい」人間を好みます。つまり、一緒にお茶でも飲めるような人間をですね。一緒にお茶が飲めなくちゃしょうがありませんからね!ところでさて、世間様とご一緒にお茶を飲むためには、やはり世間様とご一緒にお茶を飲むような人間であることが必要です。そうでないと人間はどこかこう煙たくて、しんみりしませんからねえ。頭の中にはお茶話以上の考えを持っている人間なんてのは、どう見ても人に好かれる方の型ではありません。努力しつつある人間なんてのは、まったく興醒めですからね。座が白けますからね。世間はそんなものです。

やはりどこかで孤独に耐える必要があるようだ。語学の天才は刺激的な言葉で「真実」を伝え続ける。偏屈でなければならないといったとこか。新宿でも店が汚く、頑固で偏屈なオヤジがやってるラーメン屋はうまいが、きれいで丁寧なチェーン店はまずい。

ところで、語学をやる上で「様々なことに関心を持つこと」は特に重要だと私も考える。若いときは全てのことに関心は持てないので何か強制される場所(学校など)がいる。「学校なんて行かなくていい!」というYouTuberもいるようだが、関口が生きてたらどんな表情をするだろうか。強制的に様々な教科、様々な人間との出会いの場を作ってもらわないと、後で困るということだ。そこでいろんな人(嫌な人も含めて)と出会ってないと、「語学をやる覚悟」にある関口の言葉も心に響かないであろう。

強制的にいろいろな学科に出会っておくとどんな恩恵があるか。例えば英語はレベルが上がるにつれて背景知識がないと分からなくなる。英語と無関係に思えた世界史や地理の知識は、英文雑誌や洋書に当たり前のように出てくる。生物や物理の知識もいる。さらには金融の知識に宗教の知識まで求めてくる。難度の高い英語本は、一見無関係に思えた学科が実は互いに深く関係していることに気付かせてくれる。点と点が結び合わさって線になる瞬間を見せてくれるのだ。そういう経験を持つためにも、いろいろ学んでおくことは重要だと思う。

そうは言っても、人間どこかでスランプや停滞期はやってくる。語学学習で行き詰まったり、人との付き合いで悩んだら、関口存男の言葉を思い出してみるといいかもしれない。言葉として書き表されているものを読むと、頭の中でぼんやりと理解していたものが、再び整理されてやる気が蘇ってくるはずだ(少しスパルタンではあるが)。

 

 

PEACE OUT.

 

 

 

 


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