語彙は強敵である

大学生になり、カラマーゾフの兄弟の英訳版に挑んだことがある。「北原白秋は邦訳がなかった頃に英訳で読んだらしい。負けてられん」と真似してページをめくってみた。しばらくして登場人物の多さと、お互いをニックネームで呼び合う複雑怪奇な展開に嫌気がさして最初の20ページほどで床に叩きつけた。

「見なかったことにしよう」
そう自分に言い聞かせた。そして何か慰めてくれるものはないかと探し、あいだみつをに出会った。それなりの安堵感は得られたが、ふと立ち止まる。就職の面接で「学生時代にしたことは?」と聞かれて「ないです。人間だもの」と答えるだけでは情けない。

とりあえず英気を養ってから語彙を鍛えるべく英検1級と国連英検特A級を取ろうと意気込んだ。紆余曲折はあったが実際にこの二つを取得すると、英字新聞などで情報収集できるくらいのボキャブラリーは身についた。しかし、である。小説は相変わらず手強い。カラマーゾフは笑ったままである。さらに追い討ちをかけるように教える仕事に就くと、自分が学習者だった頃には疑問にすら思わなかった質問が容赦なく飛んでくる。

・middleとcenterの違いはなにか。
・happenとoccurはいつも言い換えられるのか。
・目覚ましに頼るはdepend on, rely on,どちらを使うのか。
・「提供する」のoffer, provide, supplyはそれぞれ何が違うのか。
・Blue Blood(青い血)と書いてなぜ「貴族」の意味になるのか。
・「教育を受ける」の「受ける」はgetか、それともreceiveか。
・put up withでなぜ「我慢する」の意味になるのか。
・三単元のsってなぜ必要なのか。

いつの日か、心のどこかで逃げ場として用意していたあいだみつをの詩に励まされなくなっている自分に気づく…

この手の質問は資格試験を越えた世界である。あの合格証書はなんだったのだろうか。今度は基本語に対する深い理解がいる。気づくと資格試験を目指していた頃には見向きもしなかった本を手に取るようになった。街の本屋やアマゾンで本を買いあさるのは勿論のこと、ヤフオクで何かに取り憑かれたように夜中まで延長戦を戦った。戦利品がたくさんたまったところで、

負ける人のおかげで

勝てるんだよな

みつを

としみじみと本棚を眺める。

本の収集をしてると、数十冊に1冊の割合で歴史に埋もれた名著があることに気づく。まずは類義語から攻略しようと考えた。基本語の類義語を解説したものとして、清水建二の「似ている英単語」がわかりやすい。こちらは絶版ではない最近の本だ。happenとoccurの違い、startとbeginの違いなど、読んでて目から鱗が落ちる。それと同時に中学生の頃の自分はどうしてこういうことを疑問に思わなかったのだろうと地団駄を踏んで悔しがった。

そして最所フミの英語類義語活用辞典日英語表現辞典も詳しい。buyとpurchaseの違い、answerとreplyの違いなど、清水の「似ている英単語」と収録されているものは部分的にかぶるが、別の角度から説明してくれる。こちらの方が総じて難度の高い類義語が取り上げられている。ツイッターでバズって復刊された幻の名著。

次にイディオムと句動詞の壁に当たる。「なぜそういう意味になるんですか?」と必ず聞かれるが、解説してる本はそう多くはない。イディオムなら歴史を解説した「語源で覚える最頻出イディオム」が多くの疑問を解決してくれる。先ほどのBlue Bloodの説明も載っている。昔のスペインの貴族は、自分たちの肌が白いのは浅黒い肌の異民族ムーア人の血が混ざらなかったからだと自慢していた。スペイン貴族の血管は肌から透けて青色に見えたことに由来する。

句動詞なら「効果的語彙指導法」にpull overやpull upなど丸暗記のままではまるでわからない句動詞の細かい説明が記載されている。もっといえば齋藤秀三郎の「熟語本位英和中辞典」もその手の解説は詳しい。句動詞を使いこなすことができれば、自然な表現が可能になる。「協力する」を和英で引き、cooperateが出てきて、「協力しましょう」をLet’s cooperate.とすると変である。ここはLet’s work together.か、何か困難なことに互いに対処するならLet’s pull together.がいい。(pull togetherはみんなで舟を漕ぐ意味から協力するの意味。pull upは馬の手綱を引き上げることで車を停めるの意味になり、pull over は馬の手綱を馬の上を回してバーに引っ掛けることから車を道の脇に寄せる意味になる。馬から来てるので車をイメージしててもよくわからないが、この本は丁寧に解説してくれる。)句動詞が分かると世界を広げてくれるのだ。しかし、絶版でとてつもない金額になってる。

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最後に、英語に英語らしさを与えるものとして、名詞を使う方がいいとされる。たとえば、
She swims well.とするより、
She is a good swimmer.とする。
訳はもちろん「彼女は良い泳者だ」ではなく、「彼女は泳ぎが上手だ」である。他にも、
She cried sharply in surprise.と書くより、
She gave a sharp cry of surprise.と書くほうが英語らしい。また、
He no longer thought of the matter.と書くより、
He never gave the matter another thought.の方が洗練されている。
英語に英語らしさを与えるには名詞を使うのがコツだが、動詞を選ぶのに困る。giveなのかmakeなのかtakeなのかと迷ってしまうのだ。この手の表現は木塚晴夫の本に詳しく出ている。

英語学習者の段階では、なんとか資格試験を突破して履歴書に書けるようにしよう、早く英語で情報収集できるようになろうと考えるが、最後は基本語の組み合わせによって表現可能となる膨大なイディオムと句動詞の世界、さらに類義語の説明と戦うことになる。そして小説でしかお目にかからない風景描写の難しい語彙との格闘も待っている。まさに終わりなき旅である。そして英語の資格試験で試されていたボキャブラリーは受験生が嫌にならないように手加減されたものだったんだなとしみじみと悟った。

この世界での一番の難所は資格試験ではなく、稀覯本の入手と、大量の本の置き場の確保と、英語で小説を読めるようにすることの3点であった。後になってから知ったが、渡部昇一先生も「英語で小説が読めない」と「知的生活のすすめ」の中でボヤいてらっしゃった(もちろん先生の学生時代の話であるが)。それだけ語彙との戦いは手強いのである。

もし大学生になって目標を見失った人がいたら、せめてボキャブラリーだけでも攻め落とそうとすれば多くの学びがあると思う。語彙力がつくだけでなく、古書の入手の仕方、本の値段の相場観、ヤフオクでの売買の仕方、怪しいサイトの見分け方、と実にさまざまな副産物が手に入る。しまいには資格試験も突破できるだろう。

 

でも時折、ふと、あの人の詩が頭をよぎる。

 

毎日少しずつ

それがなかなかできねんだなぁ

みつを

 

PEACE OUT.

 


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