ツイッターで昔の東京外大の入試問題をアップしたら、かなり反響があった。昭和46年の学参からとったモノなので実際の入試で使用されたのはもっと古いと思われる。
返ってくるコメントに注目すると「簡単だと思う」「これはエグイ」「とても興味深い」「入試でこんなのを出すのはおかしい」「この人は発音記号を習わなかったのか?」などなど、いろんな意見があった。5000リツイートに、インプレッション200万以上であった。全文発音記号というのはインパクトがあったのかもしれない。ツイッターでは「試験開始とともにこれが出てきたらきつい」と書いたが、もちろん「きつい」のは私にとってではなく、今の生徒にである。彼らは発音記号を習っていない。
私見だが、入試で発音記号を試すのは非常にいいことだと思う。発音記号を習得しなければ単語を引いても意味だけ確認して終わってしまうからだ。発音のわからない単語を覚えるのは苦行に近い。視覚だけを頼りに模様のようにして覚えることは不可能である。
電子辞書や辞書アプリなら音声ボタンがあると反論されそうだが、電車の中、教室、図書館、会議室、職場、新宿の雑踏、そういった環境でも音声ボタンを押せるだろうか。押す回数は確実に減るはずだ。
発音記号が読めるというのは、脳内で未知の単語を音に変換し、鳴らすことができるということ。その技術がなぜ大事かと言えば、英語は音楽や演劇のセリフと一緒で、声に出さないと覚えられないからだ。体を前後に動かし、英語特有のリズムを作り出し、音で覚え、体で覚える。普段から本格的に音声を意識した練習をしているかどうかは、発音記号を出せば一発でわかる。一般の大学でこういう問題を出すのはやり過ぎかもしれないが、少なくとも東京外大のように外国語を専門として志す人なら、そのくらいは身につけてこいというメッセージだと思われる。
ところで英語が苦手な生徒に英文を音読させると、高校レベルの単語はほとんど発音できない。視覚だけを頼りに単語のスペルと意味を覚えようとしているので記憶に残らないのだ。(しかし視覚は優れてるからか、数学や地歴は得意であったりする。特に地歴は日本語で覚える作業だからしっかり頭に入ってる)
英語が得意な人は英文を音読した時に発音できるし、発音記号も自主的に習得している。つまり音として自分の中で再生できるから、ちゃんとモノになっているのだ。
英語学習に王道はないかもしれないが、失敗談は多い。その代表例として、単語帳に載ってる文章を図書館で無言のままノートに筆写するものだ。これは悲しいほど覚えられない。
たとえば、文化祭の演劇で1週間後に20ページ分のセリフを覚えなければならなくなったとする。そういう状況に追い込まれた人が無言でルーズリーフに台本のセリフを書き写し始めるだろうか。
人は本気で焦っている時は覚えるための最短コースを真剣に考えるようになる。そして直感的に何をすべきかわかるようになる。それは体を動かし、与えられた役を意識し、リズムを生み出し、声に出して何度も台本を読むこと。慣れてきたら徐々に台本から離れ、自分で言えるようにすること。それを繰り返すと覚えられる。
これがDUOやシス単になると無言でノートに書き写す人が急増する。自習室や図書館は私語禁止だから数学のように手を動かしていればいいと錯覚するのかもしれない。特に無口な男がこの無言筆写の過ちを犯してしまう。おまけにすぐ疲れるので妙に「勉強した気分」になるので始末が悪い。一週間後に暗唱できるか試してみると何も出てこなくて愕然とするはずだ。言葉は声に出さないと脳に残らないようにできている。
言葉や歌詞のない世界、吹奏楽や管弦楽はどうか。最初に楽譜を読めるようにしたはずだ。音符が発音記号に相当する。楽譜が読めれば実際に演奏しなくても電車や図書館にいても頭の中で音として認識できる。楽譜がわからない演奏者はいないはず。
正しい英語学習法は、発音記号をマスターし、声に出してICレコーダーに自分の声を吹き込んで何度も再生し、音読もする。そして何回かは音読しながら手も使って書いてみる。「音読9:音読筆写1」ぐらいがちょうどいい。語学学習は音楽と同じで、「音」を使えばちゃんとモノになるのだ。そのためにも発音記号の習得は不可欠である。
PEACE OUT.