All work and no play makes Jack a dull boy.

「よく遊びよく学べ」

3186647644_bcece72bb6_oこの言葉が渋谷駅にある岡本太郎氏の「明日の神話」という作品を眺めていた時に私の頭をよぎった。氏のあの巨大な作品は、遠くから見ても全体のバランスが崩れることなく見事に描かれている。氏が亡くなる3年前に書いた「自分の中に毒を持て」を紐解くと、遊び心が文章の隅々から滲み出ているのが手に取るように分かるが、「遊び」が作品に或る種の余裕を与え、シュルレアリスムへと昇華させているのではないだろうか。

中学・高校では書道や美術の作品が完成すると学校で飾られることがあった。自分では一生懸命作ったつもりでも、遠くから他の人の作品と比較すると、近くで見ていた時と遠くから見る時とで印象がガラリと変わることに気づいた。作品の細部にこだわりすぎた時や締め切りに追われ、切羽詰まっていた時はバランスの崩れが生じやすかったと記憶している。そして怖いことに遠くから作品を観察するとその人の本来の性格がそこに映し出されているように見えた。 人のふり見て我がふり直せではなく、もう一人の自分を持ち、我がふり直せ、あるいは軌道修正せよといえる。

「偏り」に対して警鐘を鳴らす文学は存在する。

阿刀田高のナポレオン狂では、病的なほどナポレオンの遺品を集めるのが好きな人間が蒐集作業に熱中するあまり、徐々に視野狭窄が生じ、人付き合いすら忌避するようになり、遂には人としての道を踏み外してしまうシーンが克明に描かれている。これを「個性」と捉える見方もないわけではないが、トータルで見たとき本来のコレクターとしての道から大きく外れてしまうわけだから健全な姿勢とは決して言えまい。岡本太郎氏のように遊びを大事にするアバンギャルドな表現者とは対極に位置する人物像なのだ。

試験においても同様の考え方が当てはまる。

英語の傾斜配点が高い学校しか受けない場合でもほかの教科を学ぶ、あるいは勉強とは関係のないことをして息抜きをするのは長い目で見た時、めぐりにめぐって英語そのものに役に立ってくる。語学には知識という側面があるので、背景知識の有無が文章を読んだ時の理解力に大きな差をもたらすのだ。さらには遊び心を持ち、冗談を理解できるだけの度量のある人の方が英語の上達も早いと感じる。

一見すると無駄に見えるものが、普段何気なく行っている己の意思決定を陰から支えてくれていることがある。いかにして今やっている作業から一歩離れ、全体像を俯瞰できるだけの心の目を養えるか。これが上級英語へと飛翔する鍵になると確信している。

 


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